ドラゴン・パスの交易ルート
The Trading Routes on Dragon Pass
 

 ノチェットとファーゼストをつなぐ交易ルートが、ドラゴン・パスには4つある。

 1つめは「山の道」(赤色)。ノチェットからライソス川を遡ってダックポイントに至り、狭義の「ドラゴン・パス」を抜けて揺るがす者の寺院を経て、バグノット、ゴールド・エッジ、ファーゼストに至る。

 2つめは「草原の道」(黄色)。ノチェットからライソス川、ルンネル [Runnel] 川を遡り、リッチ・ポスト、クィーンズ・ポスト、ノース・ポストとグレイズランドの集落を経て、オスリル川を渡って、ダンストップ、ファーゼストに至る。

 3つめは「河川の道」(水色)。ノチェットからライソス川を遡ってウィルムズ・チャーチに至り、ここからは「王の道」を使ってウィルムズ・チャーチ、ボールドホーム、アルダチュールとサーターの諸都市を経て、スレイヴ・ウォール、ゴールド・エッジ、ファーゼストに至る。

 4つめは「天上の道」(青色)。ノチェットから鏡の海を越えてカーシーに至り、ここから山道を歩いてホワイトウォールを経て、ウィルムズ・チャーチに達し、ここからは「王の道」を使ってボールドホーム、アルダチュールとサーターの諸都市を経て、スレイヴ・ウォール、ゴールド・エッジ、そしてファーゼストに至る。

The Routes on Dragon Pass

山の道

 狭義の「ドラゴン・パス」は、第二期の旅行者フレストル・アーガニティス [Hrestol Arganitis] がその報告『ドラゴン・パス地方地理誌』で述べていることから、この時代にはクリーク・ストリーム川流域からこの峠を越えて、オスリル河流域にたっする街道がすでに使われていたことが確認できる。(ただし、当時はクリーク・ストリーム川が影の高原を東流していたため、ルートは異なる。)
 この街道は、ケタエラからペローリアへ赴く上で最短である。加えて、この街道は霊峰・冬の峰を通過するが、これは「揺るがす者」の聖地であり、富豪の避暑地であり、龍の道を行く者の修道場であったので、とくにこの街道が発達したものと思われる。かくして、この地方はこの峠の名を取って、ドラゴン・パスと称されるようになった。

 ドラゴン殺戮戦争後、この地から人間が一掃され、そしてまた再び人間が住むようになるまでにいくつか変化が起こった。まず、クリーク・ストリーム川が影の高原を西流するようになった。そしてそのクリーク・ストリーム川中流域には危険な獣たちが住むようになった。また、アップランド湿原には邪悪な魔道師とその配下のゾンビたちが徘徊するようになった。
 これらの問題を解決したのは臈長けたダックたちである。ダックたちは獣の谷の獣たちと友好関係にあり、アップランド湿原のゾンビとも戦い慣れている。なんといっても彼らは泳ぎが巧みで、いざとなっても彼らだけは逃げおおせられる。このようなわけで、ダック水運業者たちがいなければクリーク・ストリーム川を遡ることはできず、おそらく彼らは過剰な料金を請求して、彼らの本拠地はダックポイントとして栄えることとなった。
 一方、アップランド湿原はあまりにも危険になったため、『ドラゴン・パス地方地理誌』述べられていような、沼沢地をボートで抜けてべラストラン峠やデンドロギ峠を越えてオスリル河流域に達する、というルートは使えなくなった。

 この街道は、ダック水運業者たち [the barge-ducks] の船賃が高くつくものの、最短であり、道すがら冬の峰を詣でることもできるので、よく利用されていた。
 だが、街道の西に蟠踞するグレイズランド人たちはしばしばこの街道を通る者たちを襲撃するため危険が増したか、あるいは、これを守護する流民国が通行税を吊り上げざるを得なくなっていったため、しだいに利用者は減っていった。  さらに、1613年にルナー軍によってダックが一掃されてからはこの街道を使うことはできなくなった。それでも大地の信者たちの中には、後述する「草原の道」を使ってクィーンズ・ポストまで達し、そこから冬の峰を詣でてからファーゼストに向かう。

草原の道

 “貧窮者”アリムがドラゴン・パスに入る前に、この地に住んでいたグレイズランド人たちは、この地で最も馬を飼うに適した平坦で青草茂る土地を選んで住み着いていたこと疑いない。おそらく、ドラゴン殺戮戦争以前のこの土地には豊かな農場が広がり、大小の諸都市が点在していたのだろうが(スモーキング・ルーインなど)、今はまったくの草原である。
 彼らが副業として、自分たちの領土の縁にある「山の道」を通過する商人たちを襲撃したこともまた疑いない。やがて、商人たちは通行税を荒々しく徴収されるよりも自ら進んで支払った方がまだまし、と気づく。さらに、ついでならグレイズランド人たちとも商売をしよう、ということで、彼らの集落をつなぐ街道が自然に発生した。

 この街道は、馬が脚を挫いたりしない程度の丘陵地帯を通っており、非常に歩きやすい。だがそれでも荷車では困難であり、街道沿いの集落も少ないので女性や老人など体力のない者にも困難である。
 一方で、後述する「天上の道」がルナー帝国に統制されるようになってから、帝国の課す特別税を嫌うイサリーズ商人がこの道を盛んに使うようになった。
 この街道のさらに西に住まう黒馬伯は、かつてのグレイズランド人と同じように商人たちを襲撃するので、これも同じように詩神の宿を経る商人も多い。

河川の道

 1492年、サーター王がサーターの24部族をまとめると、国の中心としてボールドホームを建設した。また氏族間で争いがあったとき、すぐに報告を受け、軍隊を派遣できるよう、1497年にスウェンズタウン、ボールドホーム、ウィルムズ・チャーチをつなぐ「王の道」を敷設し、この道はやがてアルダチュールまで延長された。
 すでに「山の道」を行くために使われていたダック水運とこの「王の道」はウィルムズ・チャーチで結節して、この舗装された軍道は、荷車で行く商人にはこの上ない道となった。

 この街道は、ダック水運業者が高い運送費を請求する上、サーター王国のみならず街道沿いの氏族たちがそれぞれ勝手に関税を徴収するので、非常に金のかかるものとなっている。それでも、最も安全であり、街道沿いの集落が多く野宿する心配もないので、先の荷車の便と合わせて利用するものが多い。
 だが、1613年のダック大迫害後、この道を使うことはできなくなった。

天上の道

 ドラゴン・パスからケタエラへ下るのに、ノチェットへ向かう道ばかりでなく、カーシーへ向かう道も当然昔からあり、クリーク・ストリーム川が増水したときなどは迂回路として使われていた。

 1602年、サーター王国がルナー帝国の軍門に下ってから、おそらくルナー資本の多くがこの新天地、ドラゴン・パスへ流れ込んだであろうが、「ドラゴン・パス王と王妃」の名の下にターシュ王国と同盟関係にあるグレイズランドよりも、占領されてすべての権利を失ったサーターへの介入のほうがずっと容易であり、おそらく程なくしてサーター王国内の交易利権のほとんどがルナー資本に接収されたものと思われる。
 かくして、街道沿いにはルナー軍の駐屯所が置かれ、七母神の社が置かれ、また街道をつねに警備隊が巡回するようになり、この街道はルナー商人にとっては安全で便利な、この上ない道となった。
 一方、ルナー帝国はイサリーズ商人に特別税を課しており、根性のあるイサリーズ商人は荷車を使っていても「草原の道」を使うようになった。だが今でも、普通は荷車で行く者や野宿をしたくない者は仕方なくこの道を使っている。
 この道が「天上の道」と呼ばれるのは、単に標高が高いところを通っているからだけでなく、「風の道」と呼ぶのを禁じられて、かといって「月の道」と呼ぶのも躊躇われる人々が苦し紛れにこう呼ぶようになったためである。

 ルナー帝国はサーター(とさらにヒョルトランド)へのルナー資本の投下、ターシュ王国のグレイズランドとの友好関係、「河川の道」の閉鎖により、「天上の道」への依存をますます深め、商人、徴税吏、とりわけ軍隊はみなボールドホームを経由するようになっているだろう。それゆえ、1625年に予定されているボールドホームのドラゴンの出現はルナー帝国にとって大打撃となるし、以後のルナー軍の攻撃はサーター奪回に向けられることになる。