グローランサの船の歴史
The History of the Shipbuildings in Glorantha
http://www.sartar.de/

帆の起源

 帆を最初に発明したのはアートマルであり、彼は黄金の時代に帆を使うことを世界中(メリブ、フロネラ、ペランダ)に広めた。これは推進力の強い横帆 [square sails] で、ロスカルムやイッグ諸島のロングシップはこれを用いたものである(1)
 より時代は下るが、Sendereven も独自に帆を発明した。これは旋回性に優れた三角帆 [Lateen Reggings] で、マスロ海を中心に、東方諸島やパマールテラの Thinobutan 海岸で使われている双胴船がこれを備えており、この三角帆を備えた双胴船をとくに「アートマル型船 [the Artmali] 」という。
 また、ヒョルトランドのヘラー信者 (the Helerings) も帆を使っているのではないかと思われる。


橈漕どうそう

the Galley  セイフェルスターの諸都市ではその設立当初から、フェルスター湖上を走る橈漕船の姿が見られた(ヴェネツィアのゴンドラのように)。
 この流線型で、乾舷の低い橈漕船というスタイルはセシュネラやスロントスに広まり、今でもクィンポリク同盟 [the Quinpolic League] やケタエラでの軍船には三段櫂船 [triremes] が用いられている(2)。これを古代ギリシアやフェニキアの三段櫂船と同一視するならば、帰郷洋の波の高さや風の強さが大西洋と同じようなものだとして、とても外洋航海に耐えうるものではない。だが地球の橈漕船でも、ビザンツ海軍の用いたドローモン [dromons] ともなると、ノルウェーのオラフ1世 [Olaf Tryggvason] 時代のヴァイキング・ロングシップ(3)と船速、最大乗員数、耐航性の点で同等のものとなっている。クィンポリク同盟やケタエラで用いられている橈漕船もこれに順ずるものであろう。


ロングシップ

the Cog the Nef  アートマルの恩寵をもって横帆による帆走技術を獲得したロスカルムやイッグ諸島の人々は、彼ら独自の船、ロングシップを開発した。これが彼らだけで考え出されたのか、あるいは冬の森のアルドリアミからエリノール(4)の造船技術を教えてもらって飛躍的な発展を遂げたのか、いずれであるかは判然としない。
 とはいえ、ロングシップの帆走力は弱いものであり(5)、これを補うために彼らもまた橈漕技術を発達させたと考えられる。
 「海の狼 [the Wolf Pirate] 」の狼船 [the wolfship] は基本的にはこのロングシップに魔術を施したものである。
 ヴァイキングが大西洋を横断するときに用いたのは流線型の軍船であるロングシップではなく、よりどっしりして耐航性はあるが、やや船速の遅いクノール [knarrs] である。クノールの後継型がフランスの大西洋岸で用いられたヌフ [nefs; あるいは Corbitae とも] であり、バルト海のコグ [cogs] と主役の座を張り合った。ドーマルの艦隊はこれらに似たようなものであろう(6)。この艦隊がアラタン [Alatan] の海戦で戦い、クラロレラ遠征隊に組織された。


箱舟

 ペローリアもアートマルの恩寵を受けた地域のひとつであり、その造船技術にはアナクシアル帝の箱舟以来、独立した長い歴史がある。Vestendos (Blue Boatman of the West, from the Sweet Sea) はアートマルの影響を受けたものかもしれない。


アートマル型船

 アートマル型船とは、 Sendereven が造った三角帆を備えた神話的な石造の双胴船を模して木で造ったものであり、推進性に優れた形をしている(7)。マスロ海の双胴船やこれを模倣した東方諸島の船、カリーシュトゥのアートマル戦列艦 [Artmali Warsails] がこのタイプの船である。


ダウ

the Dhow  インド洋で見られる三角帆を備えたダウ [dhows] (8)は、グローランサではアートマル型船の三角帆にヒントを得たウェアタグ人が発明した。今でもこの型の船はパマールテラや東方諸島で見られる。
[おそらく、パマールテラや東方諸島では、戦艦として双胴船が、商船としてダウが用いられているのだろう。]


神知者の造船革命

 のちに神知者となる人々はセシュネラから橈漕船に乗ってジルステラにやってきたが、彼らはウェアタグ人を破ると、その非常に優れた造船技術、とりわけ三角帆を受け継いだ。
 彼らが中海帝国 [the Middle Sea Empire] を打ち建てるまでに、彼らは船首三角帆 [auxiliary sails / jibs] を発明し、これを備えた大洋用ガレー船と、[おそらくロングシップの要素を取り入れて開発した]細長いキャラック [carracks] (9)で中海帝国の海軍を構成した。
 輸送にはよりどっしりとしたキャラックかコグが用いられた。


Potentially Interesting Bits of Trivia


  1.   テシュノスのジャンクや、ペローリアの箱舟もやはり横帆を備えているのだろう。

  2.   the Benches ~段櫂船という用語はしばしば誤解されるので、老婆心ながら解説しておく。この段とは、櫂が垂直に何段並んでいるか、ではなく、一本の櫂を何人が漕ぐか、を表している。櫂一本辺りの動力が増せば速力が上がるという理屈で、古代地中海では五段櫂船まで造られたが、これは船幅や船の重量の問題と衝突することになる。まず、ガレー船では船長対船幅の比率が 5:1 が最適とされるが、櫂一本辺りの漕ぎ手を増やすと船幅が増し、水の抵抗が大きくなる。比率を維持するために船体を大きくすれば、船の全体の重量が増し、漕ぎ手を増やした利点以上の負担となる。だが、大きな船は速力の低下というデメリットだけでなく、海戦時には高所を占める利点があるので、サラミスの海戦で使われた三段櫂船は、ポエニ戦争までに五段櫂船 [pentareme] に大型化した。だがやはり実戦的ではなったらしく、アクティウムの海戦では二段櫂船 [biremes] が使われている。その後、漕ぎ座を進行方向に対して斜めに置くなどの改良や帆の発展があり、第4次十字軍の頃までには、その後地中海では18世紀まで用いられる五段櫂船のスタイルが確立され、今日 "galley" といえばこれを指す。(ちなみに、四段櫂船は [quadrireme] と書く。)

  3.   オラフ1世は995-1000年に在位したノルウェー王で、彼の治世下において、ノール人はヴィンラントに達した。

  4.   エリノールとはイェローエルフの王であり、パマールテラ東部沿岸地域に強大なエルフ帝国を打ち立てた。734年に艦隊を建造し、737年にマガスタの渦に突入するという偉業を行っている(成否は判然としない)。ロスカルムやイッグの人々がエリノールの造船技術をもって初めてロングシップを造ったとすれば、この技術は神知者とは別系統の外洋航海術ということになる。

  5.   地球では、地中海の船は船の外板をレンガのようにぴったりと合わせて張るカーヴェル [caravel] 造りで、外板でも船体を支えることができたので、大型船の建造ができた。これに対し、北海の船では木材の表面を平らに削る技術がなかったので、外板をスケイルメイルのように重ねて張って釘で止めるクリンカー [clinker] 造りとなり、帆だけで航行できるほどのマストを備え付けることができなかった。

  6.   このように、著者はドーマルはロングシップ型の船を造ったと想定しているが、これはケタエラで使用されている船(三段櫂船)の状況にそぐわない(著者はこれを、この地域の強い伝統のため、ドーマルの船が拒まれた、としている)。ドーマルがどのようなタイプの船を造ったかについては諸説あるが、私は、ドーマル自身は《開洋》は発見したが、新しい船は造らず、従来の橈漕船で艦隊を編成した、という意見に同意する。

  7.   双胴船とは、甲板上で結合された二つの船体を胴体とする船で、水の抵抗は細身の船二隻と変わらないため、安定性が高く推進性も高い。しかし、旋回性に難がある。

  8.   ダウは、チークという熱帯原産の軽くて堅い船材を用いることで、完全帆走するだけのマストを支えることに成功した。通常、マストは2本で、三角帆を備えている。

  9.   キャラックとは、コロンブスも用いたヨーロッパ初の全装帆船(帆走のみで航行する船)で、地中海のカーヴェル造りと北海の帆走技術を取り入れて、遅くとも15世紀中頃には登場する。
     16世紀のインド洋では制海権をめぐってポルトガルのキャラック艦隊とオスマン帝国のガレー艦隊が何度も激しく戦ったが、ペルシア湾や紅海ではガレー艦隊が、公海上ではキャラック艦隊が勝利を収めた。おそらく、中海帝国の海軍でもそのような使い分けがされたのだろう。
     あるいは、「船首三角帆を備えた細長いキャラック」とはガレオンのことかもしれないが、いずれにしても(幸いなことに)神知者の全装帆船の造船技術は「大閉鎖」の間に失われたようである。

  10.   もはやチーク材が手に入れられなくなって、ダウを建造できないのだろうか。

  11.   テシュノスではアートマルから横帆を与えられ、帆走技術が発展したと思われる。これとクラロレラの平底船の造船技術があいまってジャンクが造られたのかもしれない。

  12.   コラクルとは、ウェールズやアイルランドで用いられた、柳細工に獣皮を張った小舟のこと。