格闘技のルール
Regula Artificii Martialis
 

 「入門」は「訓練」ではなく、「キャリア」である。これは、門弟がギルドの徒弟のように雑用をこなしながら技術を習得していった歴史的事実を反映している。1年間に満たない「入門」には入門期間に応じた技能値を獲得してよい(端数切捨て)。

 流派一覧表に示される1年分の技能値に関して、世界に名だたるペンチャック・シラットのような格闘技よりも警察格闘術の方が効率が良かったりするが、これは多彩な技を誇る格闘技は修得に時間がかかる、という事実を反映している。

 これらの「格闘技入門」よりも、「訓練」や「研究」によって個別に技能を上昇させた方が効率がいい、というのは事実である。だが、私のGMとしての経験から言えば、〈護身術〉以内の〈キック〉は2D6のダメージを与えるが、これは2H槍よりずっと軽く、「狭い空間」でも困らない、という大変結構な武器であり、しばしばゲームバランスを崩す。そこで、〈護身術〉は「訓練」や「研究」を行えないというルールを提言したい。

入門
 格闘技を学ぼうとする場合、まず師範と顔を合わせるところから始めなければならない。これにはまず師範を捜し出し、最低500ペニー相当の贈物をする。続いて、その道場で幾らかの期間を過ごし、道場のメンバーたちに友情や親切、保護などを通して融け込む。一般に、贈物が多いほど、うまくいく確率も高くなる。志願者の10週間分の収入が贈物の標準額より大きければ、師範はそちらの額に相当する贈物を要求することもある。
 師範に近づくために道場に滞在しなければならない日数は、最低でも2D6+2週間である。しかし、それで師範が贈物を受け取ったとしても、別の理由で志願者の希望を断わる可能性はある。あるいは志願者の意志を試すために、なんらかの苦行を命じるかもしれない。
 親密な関係を持つことができたら、晴れて入門となる。
師範との別れ
 師範は門弟に武道を極めよと強制することはできない。むしろ、これ以上の訓練は無駄であると、師範が門弟を見限ることの方が多い。
 門弟と師範の別れは友好的なものである。門弟か師範のどちらかが、いつしか2人の関係は終わったと思うようになるだろう。この決意の中に恨みや悪意がない限り、師範は門弟に対して幸運を祈り、必要とあらばいつでも戻ってきて構わないのだ、と告げる。
門弟の社会的立場
 道場は、一部の流派が修行の一環として行う手工業を除いて、生産的活動を行わない。したがって道場は、社会の自警団的役割を買って出て、社会の生産に寄生することで運営されている。ゆえに門弟の生活水準は非常に慎ましいものであり(年間収入360ペニー相当)、私有財産は一切ない。
 道場は社会の暴力装置としての機能のほか、寺院と並んで、貧者や無法者の社会復帰を助ける機能も認められている。ただし、そういった社会生活不適応者が主流を占め、彼らの巣窟と堕している道場も少なくなく、こうした道場は社会の憎悪の対象となっている。
 宗教/哲学と密接に関わっている流派の道場は寺院/学院と併設されていることが多く、こうした道場の門弟は寺院 /学院の守護者として社会的信頼を勝ち得ているが、その生活は依然として質素である。
装備
 前述の通り、門弟は基本的に一切の私有財産を持たないが、門弟となる前に就いていた職業の装備は実家に預けてあるはずである。孤児として、あるいは犯罪者として無一文で道場に入った者が、晴れて道場を出るとき、以下のものが餞別として与えられることにしても良い。

麻と毛の衣服、ナイフ、麻袋、発火具と火口、硬貨20ペニー、旅の荷物、50m縄、水嚢、その他その流派で用いられる武具
魔術
 その社会に準じて修得可。