市場
Markets
http://www2u.biglobe.ne.jp/~BLUEMAGI/TradeinGlorantha.pdf

 我々はグローランサの交易を地域的なものと長距離のものと、大きく2つのカテゴリーに分けて考えることが出来る。地域的な交易は定期市のある中心的な村と周辺の村々との間でだいたい行われる。その他では、スンチェンや遊牧民において異なる氏族や部族が遭遇したときに行われうる。交易はその地方で生産された商品に限られる。ある年、一方の村でヤム芋が豊作で、もう一方が不作であり、[なおかつこの不作の村で]取引するための織物があったとき、[はじめて]交易が成立する。生活必需品の交易としては以下のような場合もある: まず、金属工の例として、彼は特殊な技術をもって知られており、人々は他の鍛冶がいるにもかかわらず方々から彼のもとにやってきて取引をする。いま一つの例として、革細工の巧みな遊牧民がある。他の遊牧民も革細工は出来るが、彼ほどうまくはできないので、彼のところに余った肉やミルクを持ってきては品物と交換する。

 ここでいう中心的な村を囲んで一つの小経済圏を形成している周辺の村々(あるいは集合地でも何でも)は別の小経済圏と結びついているかもしれない。定期市を持つ村々は一週間のうち曜日ごとに隣接する村々の市場で交易をすることも出来る。都市に近い村々では都市の市場の日とバッティングしないように村の市場のスケジュールを調整しているかもしれない。遊牧民やスンチェンでは、このような市場はオアシスで、あるいは氏族集会など一定の間隔をおいて行われ異なるグループが集まってくる宗教的な儀式のときに形成される。
 こうした村の市場は地域的な交易を容易にするだけでなく、村々の市場が数珠繋ぎになって遥か離れた土地の商品をもたらすルートの役割を果たしている。このようにして、こうした村々の市場も長距離交易の一端を担っている。村の市場にやってくる交易商はこの地域ではつくられない商品を売りに来る。商品の一部はこれが売られた地域で消費されるが、この地域の別の交易商が次の市場に運んでいくものもある。こうした転売は、転売してももはや利益が上がらなくなるまで続いていく。
 転売の繰り返しによるコストを避けようとする旅商人は、生産地で商品を仕入れ、途中にある村々の市場を通り過ぎて、より遠い市場へ直接売りに行く。

 もう一つの長距離交易のあり方は典型的な国際的大商人によるものである。彼らは大きな港や交易中継点にいて、積荷を指示したり、あるいは自ら船舶を所有していたりする。彼らは遥か遠隔地から大量の商品を輸入し、また地元の生産者から大量の商品を買い上げて輸出する。彼らは村々の市場をまわって商品を紹介するより小規模な交易商人に商品を卸す。(より大規模で、上意下達の確固とした組織ではこれらの過程を一括に管理している。同一のオーナーが生産設備、輸送手段、セールスマンを所有しているのである。西アフリカのハウサは前近代におけるこのタイプの大商人の好例である(1) 。)大商人がその地方の生産物を購入するときは、生産者から生産物を買い上げてくるより小規模な交易商人から仕入れている(この点については、繊維製品の項における「輸出工業」についての私の意見を見られたい)。
 これらの交易循環は、ほとんどの場合都市から始まっている。地域的な交易は人類の端緒から存在しているが、大規模な貿易の進展はつねに都市[社会]と密接な関係があった。これがヨーロッパの重商主義がイタリアのルネサンスから始まった理由であり、中国が人類史の中で最長の貿易の伝統を担っていることの理由である。職業分化と交易を促す都市文化は人口の稠密に深く根ざしたものである。

 イサリーズのカルトはこういったさまざまなタイプの商人それぞれに相応した下位カルトを持っている。ハーストの商人は小規模な交易で生計を立てている村人である。ゴールデン・タンは旅商人で、都市から村へ、そしてまた別の村へと旅してまわっている。ガーゼーンは国際貿易を扱う大商人である。上述したように、ガーゼーンの商人は大都市に住み、遠隔地から商品を仕入れている(おそらくこの商品はゴールデン・タンのキャラバンが運んでくる)。ガーゼーンはこれらの商品をゴールデン・タン商人や地方都市のガーゼーン小売商に卸し売りする。そして、このゴールデン・タンは郊外に商品を運んで、さらに離れた市場まで商品を運ぶより小規模なゴールデン・タン、あるいは近隣の村かその地方の消費者に商品を供給するハースト旅商人に売却する。ロカーノウスやエティーリーズのカルトが同様の下位カルトを持っているかどうかは分からないが、彼らは確かにこうした役割分担をこなすだけの信者をもっているだろう(2)


  1.   ハウサ [Hausa] とは、ニジェール川周辺に住むハウサ語を話す人々のことである。金貿易で栄えたマリのソンガイ王国がモロッコに征服された17世紀以後、彼らはサハラ以南の西アフリカ一帯で盛んな商業を展開した。元は小さな部族であったが、この繁栄にあやかろうと周辺部族もハウサ語を話すようになったため、このあたりは今ではハウサ語人口5000万を数えるハウサランドとなっている。彼らは本文中にあるような画期的な商業活動を展開したことで歴史上名高い。
     日本人に分かりやすい例を提出するならば、江戸時代の大坂の大店、とくに米問屋がそうである。

  2.   ペローリアでは、ロカーノウスがイサリーズのハーストとゴールデン・タン、エティーリーズがイサリーズのガーゼーンの役割を担っていることが後述されている。